夜舟

文章書く練習ではじめました。

小川洋子 凍りついた香り

 何気なく手に取った本。古本屋の100円のコーナーで、小川、の欄を確認するのはもう私のルーティンだったから、今回も見に行った。タイトルと、背表紙の言葉が素敵だったから買った。

 本を開いたらはしの方はもう変色していて、茶色かった。閉じている部分の下は私が大学へ行くまでにトートバッグにそのまま入れていたからか、雨で少しうねっていた。私は新品のまっさらな小説より、誰かが読んで、そのまま本棚に入れて放置して、なにかの機会に手放されたみたいな、年季の入ったページのほうが好きだ。

 ページを捲りながら寒気が止まらなかった。それは教室の扉から滑り込んでくる空気が冷たいからなのか、それとも目で追っている文章が壊れてしまいそうに冷たいからか、わからない。足早にそこを過ぎ去るようにページを早く繰った。どうしていつもこの方の言葉で鳥肌が立ってしまうのだろう。

 涼子のくちから語られるはじめの弘之はとてもおとなしくて、臆病で、インテリぶった男だ。弘之の心情はひとつも出てこないのに、その姿がありありと浮かんできた。どんなことにも神経質に、きちんと揃えたがる彼の性質は自分の周りにいたら少し嫌だろうなとも思った。弘之の弟、彰によって語られる”ルーキー”は彼女の見た彼とは少し違っていて、それに気づくと彼の全ての姿を知るべく涼子はその足跡をたどる。弘之の母、スケート場のミトンの少女、プラハで行われれた数学コンテストで一緒だった杉本史子、孔雀の番人(番人、という言葉選びのセンスにため息が出る)、プラハのベルトラムカ荘の使用人の女……それぞれに違った表情を見せるルーキーに恐怖さえ覚える。人の中心に吸い寄せられていく弘之の姿を見た涼子は何を思ったのだろう?

 ジェニャックは本当に良い役割を果たしていた。涼子、もとい”リリ”に無駄な気を少しも使わせなかった。リリが孔雀の番人と密やかに会話を交わしている際はじっと車の横で待っていたし、なにより日本語がわからなかったから余計なことをなにも言わなかった。(たとえ日本語がわかったら、どうだっただろう)チェロの演奏が上手で、その音だけでリリをルーキーのもとに連れて行った。ビロードも、見つけることができた。

 小川洋子さんの本の紹介には、静謐、という言葉がよく用いられる。どの作品も静謐そのものなのだが、この作品には色濃くそれが出ているように思う。全ての登場人物が静かに生きている。コンテストへ向かうルーキーに大声で声をかけるあの母親でさえ静謐な世界の下に押さえつけられてしまう。そしてどの作品にも必ずひとり、毛色が違う人物が出てくることもこの世界を作り上げる重要なスパイスになっているように思う。本作品でのスパイスは紛れもなく母親だ。子どものことを一心に思いながらもその方向性と熱意はずれていて、一般的に見れば毒親そのものだ。数学がよくできる兄の弘之にばかり熱意を注いでいて、弟の彰がよくやさぐれてしまわなかったものだと思う。